労働

「社会不適合者でもいいんだよ」論について思うこと

ヘルメットをかぶった人



社会不適合者は、いい意味での社会不適合者とダメな社会不適合者に分かれます。

 

  • いい意味での社会不適合者……社会に適応できない代わりに自分で何かを生み出す人、独自のビジネスを始める人
  • ダメな社会不適合者……社会に所属できないが自分で何かを生み出す気概もない人、ただの怠け者

 

「社会不適合者でもいいんだよ」論を聞くたびに違和感を覚えるのは、世の中には、後者の社会不適合者も大勢いるからでしょう。

私自身はどちらかといえば、「社会不適合者でもいいんだよ」派の人です。

でも、やるべき努力を避けるために、ただ怠けるために、あえて自分に「社会不適合者」というレッテルを張るのは違うんじゃないかと思います。

社会不適合者なら社会不適合者らしく、独自の視点から何か世の中に対してアイディアを出すべきではないかと。

だって、何もしなければただのニートですよ。

ニートがリスキーなのは、誰にだってわかります。

誰かに寄生しない限り、お金を稼がないと死んでしまうからです。

 

なので、

「失敗してもいいから、とりあえず何かやってみよう」

というモチベーションの存在こそが、「社会不適合者」という身分を許される条件だと思います。

 

誰に許されるのか?

それはもちろん自分です。

なぜって、自分だけは自分のことを24時間見ていますから。

もし、「社会に適応できない」と嘆く自分が、1日中ベッドの上でぐうたらしていたとしたら、もう一人の自分に許されることは決してありません。

 

社会不適合者は誇るべきことではありません。

やはり世の中に適合している人の方が偉いですよ。

 

加えて指摘したいことがもう一つ。

「社会不適合者でもいい」というメッセージを発信している人は、実は社会不適合者ではありません。

彼らの正体は、ある社会(システム)を拒否して、「別の社会(システム)」に適応した人です。

YouTuberや転売屋もそうです。

会社員などとは別の方法で世の中に適応した「社会適合者」です。

だから、彼らは、「ある社会に適応できなかったら、別の社会に適応する努力をしよう」「みんなとは違う別の方向から、社会に適応できるように努力しよう」というメッセージを発信するべきです(実際にはしないけど)。

普段からリテラシーをもって情報に接していれば、彼らのポジショントークに簡単に気づけます。

が、「社会不適合者」の大半は、(失業やうつ病などで)生活の余裕を失っています。

そのため、耳触りのいい情報だけを受け取ってしまう傾向にあります。

いま現在社会不適合者の方は、自分にとって心地いい情報だけを集めないように十分に警戒した方がよいでしょう。

 



ABOUT ME
てりたま
いつの間にかライターで生きるようになっていた人。真面目半分、不真面目半分で記事を書いてます。