多趣味なのと「これ」と決めたひとつの分野を突き詰めていくのは、どっちがいいんでしょうね?
私は自分が飽き性なのもあってどちらかといえば多趣味です(だから雑記ブログやってます)。
なので、ひとつのことを極める人は素直に尊敬できます。
私は何かをやり始めると文字通り5分で飽きるので、様々な趣味を「巡回」し、小学生の時間割さながらにいろいろなことに手を出しています。
ですから、趣味に時間を割く日もあれば、1か月やらないこともあります。
- ジョギング
- ブログ
- DTM
- 小説制作
- 旅行
- ゲーム
- 投資
- お絵かき&イラスト制作
- 語学
- プログラミング
自分の趣味を少し挙げるだけでこれです。
これからもっといろいろなことに挑戦したいと思っています。
例えば、サーフィンとかピアノとか写真とか。
「そんなにたくさんのことに手を出したらどれも中途半端にならないか?」と友人によく言われますが、友達の主張はその通りで、多芸は無芸と言われるように「プロ並みの技術がある」と胸を張って主張できるものは何一つありません(ドヤっ!
忍耐力がなければ何も成し遂げられないのですが、私の場合、何も成し遂げられなくていいから退屈したくないのです。
これはかなり変な考え方かもしれませんが、「人生は1度だけしかないので、できるだけ様々なことに手を出した方が死ぬときに後悔しない」というのが私の主張です。
とはいえ、領野を広げどれも中途半端にしてしまうのは、「ひとつを突き詰める派」の人たちからすれば軽蔑の対象になるのかもしれません。
ただの浮気性ですからね。
実際、何かひとつに専念したからこそ見える景色もあります。
よく「一流同士は気が合う」と言いますけど、あれもひとつのことを極めた人だからこそ理解しえることがあるのでしょう。
でも、そういう至高の境地に行きたいか? と言われれば考え込んでしまいます。
最近はあまり見かけなくなりましたが、スポ根系マンガの主人公なんて自分の全てを一つのことに注いでいますよね。
ああいう生き方を見るたびに、「もしこの主人公が自分のやっていることが不慮の事故や経済的な事情その他の様々な要因によってできなくなったら、そのときの喪失感はただ事ではないだろう」と思います。
穿った見方ではありますが、ひとつを極める人たちはそうしたトラブルへの対応力というのが低いとも思うのです。
学者界隈でよく言われる「専門バカ」と同じで、専門以外のことは何にも知らないから、自分がやっていることからはみ出すと途端に何をしていいか分からなくなります。
だから多趣味の方がいいと豪語するつもりはありませんが、それでも私には無理な生き方だな~と思ってしまいます。
でも、「ひとつに専念するプロよりは柔軟な素人でありたい」という人は本当に少ないと思うし、かなり天邪鬼かもしれませんね。
多趣味でもひとつに専念でもどっちでもいいのかな、結局。