「やりたいこと」が見つからない=当たり前
「やりたいこと」って見つからなくて当たり前ですよー。
そんなの簡単にわかったら、みんなもっと幸せそうな顔してますって。
というか、自分から積極的に動かないと、やりたいことって探さなきゃ見つからないんですよ。図書館でたくさん本を読んだり、たくさんの人と会話したり、たくさん旅行したり、たくさん失敗して、初めて見つかるのがやりたいことです。大学生なんてヒヨコみたいなものなので、まだ「やりたいこと探し」のスタート地点にも立っていないです。
こんなこと言ったら顰蹙を買いそうですが、9割以上の学生はやりたいことがわからないまま社会に出ていきますよ。安心してください。あなたは多数派です。
具体的な「やりたいこと」の探し方
言いたいことは書いたので、もうこの記事は終わってもいいんですけど、せっかくなのであと少しだけ続けます。
私は学生の皆さんより少しだけ長く生きているので、「やりたいこと」を探すコツみたいなものを心得ています。そのコツについて、少しだけ書いてみたいと思います。
「好き」のセンサー
やりたいことは、「好き」の形でやってくることがほとんどです。「好き」だったり「楽し」かったりするものは、あなたのコアの部分とリンクしています。
どうして好きなんだろう? とか、どうして楽しいんだろう? とか考えてみると、やりたいことが見つかる確率がググっと高まります。
考えると言っても、理屈っぽく考えるのではなく、右脳を働かせることが大事です。思考よりも直感に頼りましょう。
理屈で考えようとすると、必ず頭の中から、「でも」「だけど」という言葉で始まる反対意見がでてきます。
そういうのにとらわれ始めると、「好き」のセンサーの精度が下がります。
だから、右脳で考えるのが大事です。
「できる」のセンサー
「できる」は「やりたいこと」になる可能性を秘めています。得意なこと、他人よりもうまくできることを伸ばしていくと、いつの間にかそれが「やりたいこと」になっているかもしれません。
自分の「できる」にエネルギーを注ぎましょう。
また、「自分ができること」を他人と比較しないようにしましょう。
比較すると、世の中には、「自分ができること」をもっと上手にやっている人がたくさんいることが分かります。
分かるだけ、です。だけど、たいていの大学生は、他人と比較して「できる」を「できない」に変えてしまいます。これがよくない。
「やっぱり私には才能がない」とか「あいつの方がセンスが上だ」とか感じ始めたら危険信号です。
他人と自分を同じ物差しではかる必要はありません。大切なのは「どう違うか」です。多様性が大事です。
ちなみに、才能の差と感じているものは場数の差に過ぎず、センスの差と感じているものは観察力の差でしか無いので、焦る必要はありませんよ。
捨てる
やりたいことが分からず頭の中がもやもやしているなら、思い切って全部捨ててしまいましょう。そして1から始めましょう。
あなたが後生大事に抱えているものは、たぶん今のままだと何も生みませんよ。
部屋を掃除すると、無くしていたものが見つかることがありますが、「やりたいこと」も同じです。捨てることで見つかるかもしれません。
諦めたものを探る
やりたいことが見つからない人の中には、「本当はやりたいことがあるのだけど、諦めてしまっているだけ」という人がいます。
本当はやりたいことがあるのに、「大学生にもなったんだから現実を見ろ」「何熱くなってんの?」「さっさと諦めろよ」「大人になれよ」「やるべきことをやれ」というゴミのような意見を鵜呑みにして、自分の感情を押し殺してしまったかわいそうな人たちです。
でも、決して臆病になってはいけません。
パウロ・コエーリョの『星の巡礼』にこんな一節があります。少し長いですが、引用します。
「自分の夢を殺すと、まず最初に時間が足りないという症状が現れる」とペトラスは続けた。
「最も忙しい人たちは、人生には常に、あらゆることをするに十分な時間があることを知っている。何もしない人たちはいつも疲れていて、やらなければならないほんのわずかな仕事にも、注意を向けようともしない。彼らは絶え間なく、一日が短すぎると文句を言っている。本当は彼らは良き戦いを戦うのを怖がっているのだ。夢の死による2番目の症状は、我々の確信の中に現れる。人生を偉大な冒険として見たくないがために、人生にほとんど何も望まない方が、賢くて公正で正しいと思い始める。そして、日々の暮らしの壁の向こう側をのぞき見し、槍が折れる音を聞き、ほこりと汗のにおいをかぎ、戦士たちの目の中に、大いなる敗北の炎を見る。しかし、われわれは、戦いに行ったものの心に宿る喜び、無限の喜びを見ようとはしない。戦う者にとって、勝利も敗北も大切ではない。大切なのは、彼らが良き戦いを戦っている、ということだけなのだ 」
「そして、夢の喪失の第三の、そして最後の症状は安逸である。人生は日曜日の午後になる。われわれは何一つ偉大なことを望まず、われわれが与えたいと思う以上のもの何も要求しなくなる。このようになるとわれわれは自分が成熟したのだと思い込む。そして若い頃の思いを忘れ去り、個人的で職業的な業績を追い求める。同じ年頃の人たちが、人生からまだあれを欲しいこれを欲しいと言っているのを聞くとびっくりする。しかし、実は、心の奥底で、自分は自分の夢のために戦うことをあきらめたのだ、つまり、良き戦いを戦うのを拒否したのだ、とわれわれは知っている」
――中略――
「夢をあきらめて安逸を見出すと」と、しばらくして、ペトラスは続けた。「われわれは、ほんのしばらくは安らかな時期を過ごす。しかし、死んだ夢は我々の中で腐り始め、われわれの全存在を侵し始める。われわれはまわりの人々に冷たくなり、さらにはその冷たさを自分自身に向け始める。こうした時、病気やノイローゼになるのだ。戦いの中で避けようとしたもの、つまり、失望と敗北が、我々の臆病さのゆえに、われわれに襲いかかってくる。そしてある日、死んで腐敗した夢は、われわれを呼吸困難におちいらせ、実際、われわれは死を求め始める。それはわれわれを、自らの確信、仕事、そしてあのおぞましい日曜日の午後の平和から自由にするものなのだ 」
どうですか? ペトラスが描いたような人間になっていませんか?
夢をあきらめると、これから先、もっとひどいことが待っているかもしれません。
勇気を出して、良き戦いを戦いましょう。
自分の作品を作る
インプット偏重になっていると、永久にやりたいことは見つかりません。
何でもいいから、自分の作品を作ることです。表現の手段は何でもOKです。絵を描く、日記をつける、アプリを作る、筋肉をつける、ライフスタイルを作る等々。
作品を作ると、それは鏡のように働き、自分が何をしたいのか教えてくれます。教えてくれないとしても、ある程度の方向性をあなたの人生に与えてくれます。
方向性が分かれば、「やりたいこと」もきっと見えてくるはずです。
まとめ
頑張ってね! たぶんそのうち見つかるよ!